この記事のポイント
1. 会話の壁は資格では越えられない
2. 理想と現実の違い
3. 精神的な理解力
4. まとめ:難しさは経験値+精神力へ
2. 理想と現実の違い
留学の難しさを語る上で欠かせないのが「理想と現実の差」である。留学は難しいとは思っていても、どこかで自分の思い描く「理想の留学」が「そうでなければならない留学」だと思い込んでいることが多いように思う。理想の留学とはオーストラリアの場合は「白人」「優しい」「大きい」「きれい」そんなイメージを持っている人がほとんどではないだろうか。
「白人」をイメージし、ホームステイ先は白人家族が理想、そうでなければがっかりする。しかしオーストラリアは約4人に一人はオーストラリア以外の国の背景を持つと言われる移民の国だ。他の国からむかし移住してきた人も今はオーストラリア人として生きている。その中にはアジア人だって中東の人やインドの人だっている、もちろん韓国人や日本人も今はオーストラリア国籍を持ちオーストラリア人として生きているケースもある。しかしイメージしているのは白人のホストファミリー。そうでなければ嫌だと感じ、到着日にホームシックになり、すぐに変更したいと思ってしまう。
「優しい」という事に関しても、イメージしている理想が「優しすぎる」ことが多い。現地での学校初日には転校生としてあいさつをがんばったら次の休み時間にはたくさんの現地生が自分を取り囲み、日本について話を聞かせて、このアニメ知ってる?と寄ってくる…そんな想像をしている人も多い。現実は転校生の紹介もなければ、決まった席もない。自分から話しかけなければ取り囲んでくれるようなこともないし、日本のアニメを知らない人の方が多い。イメージ上では理想があるべき姿になりすぎてしまい、そうでなければおかしい、学校が合わないのかもしれない、と思ってしまうケースも多い。
ホームステイ先についても家は大きくてきれい、ホストマザーとファーザーと小さい子たちがいて大きな犬がいてご飯は量が多くておいしい!そんな理想的な想像をしている人が多いが、実際はシングルマザーのホストも多い。小さい子供はおらず、引退したおばあちゃん一人の場合もめずらしくない。料理は得意な人はあまりいないし、シンプルで簡単なものが多いため、日本人は飽きてくることが多い。
ネガティブな事ばかり連ねてしまっているが、想像することが悪いことなわけではないし、理想を描くことがだめなわけではない。しかし理想を思い描きすぎてしまいそれがあるべき留学形だと思い込んでしまい、そうではなかった時のショックが受け止めきれない子が多い。
よく考えてほしい。日本にもシングルマザーやシングルファザーは沢山いるし、外国人もたくさんいる。料理が得意なお母さんもいれば得意ではないお母さんもいる。もし日本で外国人が一人で険しい顔をして道に立っていたら、どうしたのかと聞いてあげる人が何人いるだろう。自分だったらできるだろうか?白人だったら声をかけるが頭にターバンを巻いた中東の方だったら声をかけるだろうか。コンビニではたらくアジア人が日本語がうまく話せなくて意味が分からず、苛ついたりしたことはなかっただろうか。 中国人ばかりが集まって自分もいるのに中国語ばかり話す、と嘆くが、逆の立場だった場合日本語ばかり話してしまうのではないだろうか。それが悪いと言っているのではなく、人としてありがちな行動なっだけであり、皆そうなってしまう気持ちはお互いあるはずだという事を思い出してほしい。現地の学生だって急に来たアジア人にみんながみんな声をかけるほど勇気があるわけでもないし、さほど留学生が珍しいわけでもない。この現状は変わらないし、それを嘆いても仕方がない。その環境を受け入れ、それならどうやったら話しかけてもらえるか、どうしたら早く仲良くなれるか、を想像し考えて行動に移していく必要がある。何かを誰かがしてくれることが理想で、そうでなければおかしい、と思うよりも、自分が自分のために何ができるかを考えて行動に移すことが留学にとってはとても大事なスキルの一つであり、第一歩でもある。もちろんそれが10代の子供たちにとって簡単なことではない。そのため肌身で感じ、考え、自分の許容範囲を広げ、世界や視野を広げて物事を考えることで、相手へ求めることも、自分の考え方も取り組み方も変わっていく。